「夢を育てよ」#10 「2年後、3年後が本当に楽しみです」堀井美香さんに聞く、仕事・子育ての取組み方と50歳からのモチベーション
毎週金曜の午後5時から配信される、TBSラジオのポッドキャスト番組『OVER THE SUN』。パーソナリティーを務めるのが、ジェーン・スーさんと、そして今回登場いただく、フリーアナウンサーの堀井美香さんです。同番組は2020年10月からスタートし、多くのリスナーを惹きつけています。番組タイトルは「おばさん」をもじったもの。その内容も、アラフィフの2人が何の縛りもなく、明確な着地点もなく、1時間近くのトークを繰り広げます。人気の理由をたずねると……。「スーちゃんとも、不思議だねって。ただただ、おばさんが意味のないことを、しゃべっているだけ。言葉遣いは悪いし、リスナーさんに何も与えていない番組なのに」そう言って笑う堀井さんも、かつては周囲からの批判や、当時の社会の常識に悩んだといいます。アナウンサーを目指すきっかけとなった学生時代から、結婚、子育て、そして仕事への取組み方まで、いろいろと語っていただきました。
目次
フリーアナウンサー 堀井美香さん
[プロフィール]
フリーアナウンサー。1972年、秋田県生まれ。法政大学法学部卒業後、1995年にTBSに入社。翌年、同社社員と結婚。出産後は、子育てをしながら、ナレーションを中心に活躍。アノンシスト賞テレビナレーション・ラジオナレーション最優秀賞など、数々の受賞をはたす。2022年、同局退社。現在、フリーとして『世界の窓(BS-TBS)』、『バナナサンド(TBS地上波)』、『坂上&指原のつぶれない店(TBS地上波)』等でナレーションを担当。ポッドキャスト番組『OVER THE SUN』でも、幅広い層からの支持を得ている。また、退社と同時に、朗読会を主催する自身の会社を立ち上げた。
偶然手渡された1枚のビラ
「田舎って、少なくとも私の時代は、公務員になることで幸せが担保される、それが正しい道、優秀な道なんだと親に言われてきましたから、そのことに何の疑問も抱いていませんでした」
堀井さんは、秋田県で特定郵便局(※1)を営む家に生まれます。実家だけでなく、親戚の多くが教師や郵便局員という、いわば「公務員ファミリー」。物心がついた頃から、将来は役所に勤務するか学校の先生になる、あるいは実家を継ぐだろうと考えていたといいます。
(※1)集配などを行なわない小規模な郵便局。郵政民営化(2007年)以降、その呼称は廃止され、すべて日本郵便株式会社が管理する郵便局となった。
しかし、一度だけ「憧れた」職業がありました。それがピアニスト。中学2年のとき、ショパン国際コンクールで優勝したスタニスラフ・ブーニンの存在を知り、いたく感動したそうです。どうすればピアニストになれるか。それを調べるために図書館へ行き、幼い頃から多くの練習を積み、かつ実力を兼ね備えた人こそが進める道だと知ります。
「私もピアノを小学校入学前くらいから習っていたんですが、地元のピアノ教室で週に1回、1時間程度練習するだけの普通の子どもは無理だと、すぐに悟りました」
そんな堀井さんが、アナウンサーという、それまで考えもしなった仕事を目指す、そのきっかけとなったのが、進学した法政大学の3年生のとき。たまたま用事で訪れた大学の事務局で、職員の方に声を掛けられます。
「君、こういうのがあるんだけど、受けに来てよ」
それは、大学が主催する「自主マスコミ講座」と書かれた1枚のビラでした。
採用試験でとうとうと語った電話の未来
すでに、公務員試験受験のための予備校にも通っていた堀井さん。マスコミ志望ではなかったものの、就職難だったこともあり、何か就活に役立つだろうと、アナウンサーコースを受講します。以降、1、2週間に1回、現役アナウンサーが講師となり、声出しや原稿読みのレッスン。模擬面接も数多くこなしました。
就職シーズンを迎え、周囲に引きずられるようにアナウンサー試験にエントリーします。とは言え、民放キー局の女子アナならば、4,000人受けて1人か2人合格できるという狭き門。当然、自信はなかったものの、一方で自分なりに頑張って勉強をしたという自負もありました。
勉強で、特に率先して行なったのがセミナー通い。新聞や役所の広報誌に載る、社会人向けの企業や公共のセミナーに出向いては、その内容をこまめにノートにまとめるというもの。ジャンルは問わず、子育てセミナーにも参加したとか。しかし、それが結果的にTBSの就職試験で、大いに役立つことになります。
「3次か4次の試験だと思うんですが、だだっ広い部屋のテーブルに、ぽつんと黒電話が1台置かれている。試験の内容は、黒電話を使って3分間語りなさいというものでした。大半の人が、親と電話で話す様子だったり、通販番組みたいな設定だったり、そういうものだったと思います」
「私は、たまたまNTTの企業セミナーで、今後、小型になって小学生でも持ち歩けるような電話が発明されると聞かされ、すごく衝撃を受けたんです。なので、その試験で、とうとうと電話の未来について語りました。それで採用されたかどうかは分かりませんが、セミナー通いをしたことで、人と違う引き出しが持てたことは確かでした」
夜中の1時に自宅の前に人だかりが
TBSに入社したのは1995年。新人アナウンサーがアイドル並みの人気となる、空前の女子アナブームのまっただ中でした。入社早々、とんねるずの冠番組を担当するなど、堀井さんも一気に全国区となっていきます。
こんなエピソードがあります。新人アナとして、堀井さんの生活に密着する番組がゴールデンタイムに放送されたときのこと。
「コンプライアンスが希薄だった時代でしたからね。当時、上京していた妹と住んでいた青梅街道沿いの阿佐ヶ谷のマンションが、いきなり、ぼかしも何もなく、パーンと映って。放送されたのが夜8時過ぎ。私は早朝番組を担当していたので、翌日の午前1時に家を出たら、真夜中にもかかわらず、すでにマンションの前に人だかりができていました」
いきなり想像できない世界に放り込まれてしまった。そこに不安も感じたが、同時に、楽しさも感じていました。
「毎日、違う現場に行かせていただいて、違う人と仕事をする。いつも観光旅行している、そんな感じでした。何か足元がフワフワしているというか。あっ、でもそれは今も同じですかね」
喜びと非常識の狭間で
アナウンサーとして第一歩を踏み出した堀井さんは、その翌年、同期入社の社員と結婚します。今であれば、周囲に祝福されるべきことのはず。しかし、少なくとも当時のテレビという世界では、女子アナウンサーが入社2年目に入籍することは、むしろ「非常識」な行為でした。
「たまたまいい人と巡り会って、半ば私が押し切る形で結婚しました。当初、彼は結婚に前向きではありませんでした。それは私の立場、周囲の状況を見て、そんなに慌てなくてもいいのでは、という理由からだったと思います。その意味で、彼は常識が分かっていました」
しかし、早く結婚するのは、むしろ自然と考えていた堀井さん。それでも、自分の結婚により、周囲がザワついていたことを、あとから人づてに聞き、落ち込むことに。そして、その翌年、長女を出産したことで、その落ち込みは倍加してしまいます。
「もちろん子どもができたことは、本当にうれしくて。だけど、周囲の言葉が回り回って伝わってくると、だんだん自分は常識外れなこと、悪いことをしているんだと思えてしまいました」
それでも、堀井さんの心に仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。
「1年目からアナウンサーの仕事の楽しさを知りましたし、迷惑をかけた分、挽回したいという気持ちもありました。だから、新聞を音読したり、育休中もアナウンサーとして役立つことはやっていました。朗読のテープも、ヘビーローテーションで聞いていましたね。特に、幸田弘子さん(※2)が大好きで、よく声真似もしていました」
(※2)女優、声優、朗読家。1970年代に舞台朗読という新たな分野を開拓した。
自由に楽しくてできた、一人子育て
「子育てはいっさい苦にならず、楽しくて仕方がありませんでしたね。子どもがとにかくかわいかったし、いっしょに過ごす時間はかけがえのないものでしたから」
夫は多忙で海外出張も多く、家を空けることが多かったため、育児は一人でやると決めていました。長女を出産した3年後には長男を出産。いわゆる「ワンオペ育児」でしたが、そこに今の時代のネガティブなイメージも、不公平感も、堀井さんは持たなかったと言います。
「こんなことを言っても、ワンオペ育児で悩んでいる方には何の救いにもなりませんが、当時の私は、できる人がやればいい、という考えだったんです。もしも夫が家にいれば少しは気になったかもしれませんが、ほぼ不在だったので、最初からあてにするという考えもなく、むしろ自由にできました。これも良かったと思っています。それと、育児自体、ちゃんとやってない。離乳食もミルクの作り方も、超テキトーでした。だから、ストレスもなかったですね」
家計収支も把握はせず、家計簿もつけない。買い物はとにかく必要なものを買い物かごに入れていたそうです。細かく値段をチェックすることなどもせず、できるだけ早く済ませる。大事なのはスピード感。
そう聞くと、家計管理は大丈夫だったのかと、心配になりますが……。
「なにせ実家をはじめ、親戚中が特定郵便局ですから。子どもが生まれたと同時に、養老保険や学資保険に、これまでもかというほど加入させられる。そういうシステムなんです、ウチは。おかげで、進路の節目節目でお祝い金や満期金を受取ることができました。また、入社以来、持株会で毎月、自社株を購入していて、その通知が定期的に送られてくる。それを見るたびに、何かあっても安心の<かたまり>はある、と思えたし。だから、手元に残るお金は貯めなくても大丈夫、という気持ちでした」
つまりは、保険料(=子どものための蓄え)と持株会の積立分(=老後のための運用)が引かれた残りを、生活費に充てる。そう、むしろ先取り貯蓄を実践して、家計は合理的に管理されていたということになるのです。
最後に帳尻が合えばいい
2度の育休を経て、職場復帰はするものの、しばらくは子育て優先の生活スタイルは変わりません。残業や土日の勤務はこなせなくなり、結果、アナウンサー業務を継続することは難しいと感じることに。悩んだ末、9時~5時で働くことのできる部署への異動届を提出します。
「そのとき、当時デスクだった女性の方に言われました。今はそれでいい。その代わり、子育てが手から離れたら、がむしゃらに会社のために働きなさい。最後に帳尻が合えばいいから、と。あの言葉で、何か肝が座ったというか。しっかりと仕事に向き合うことができた気がします」
以後、自分のペースでアナウンス業務をこなしていきます。とりわけ、その専門性を磨いていったのがナレーションでした。
「一から学び直す、という気持ちでしたし、実際にレッスンを受けたりもしました。現場では最初、スポンサー名を読むだけ。次はプレゼント応募のお知らせと、1行、また1行と仕事を増やしていく。周囲に認めてもらうまで時間はかかりましたが、もう、私には読むことしかなかったですから」
名前を伏せて、朗読会のメンバー募集
50歳を節目に堀井さんは、退職を決意します。
「TBSでは本当にいい経験をさせていただきました。40代になってからは管理職として、採用も担当しました。アナウンサーでは出会えない、社内外のいろいろな方ともお話をさせていただいて、自分の身になったことも多くあります。ただ、私の中では、会社でできる仕事はたくさんやらせてもらった。あとの時間で、自分がしたいことができたら。そういう思いでした」
堀井さんは退職後、事務所に所属する一方、自身の会社も立ち上げます。社名は「yomibasho(読み場所)」。誰かと何かをいっしょに読む。そういう場所を作っていきたい。そんな想いが込められています。すでに、朗読会で全国各地を回る、という活動を予定されています。
「地方のいろいろな場所で、その土地の方や、子どもたちと一緒に本を読んだりしたいんです。SNSで集めることはしたくなくて。例えば、地元の図書館に伺って、私の名前は出さない形で、募集のビラを貼らせてもらう。朗読をしたいという人が興味を持って来てくれれば、それがうれしいので」
それとは別の活動として堀井さんが一人だけで舞台に立つ大きな朗読会も続けていきたいと話します。第1回の朗読会は販売開始5分で完売に。今年の12月2日、ルーテル市ヶ谷教会での2回目の朗読会の開催に向けてすでに準備に入っています。しかし、朗読会は赤字なのだとか……。
「会場の警備とか、いろいろコストってかかりますよね。それに、音楽をつけたり、映像も残したいじゃないですか。それをYouTubeで限定公開したり。でも、いいんですよ。これは赤字でも。他で稼げば何とかなる。他で稼いだお金を、地方での朗読イベントや、自分の朗読会に、どんどん投資していこうと思っています」
結婚、出産、職場復帰を経て、大変な時期も経験しながら、今、新たな世界でチャレンジをしている堀井さん。自身の未来をどう考えているのでしょうか。
「私は先々あれがしたい、これがしたいというのがあって。それができた自分の姿を想像して、そこに近づこうとしている。今は、自分が得たスキルを出していきたい。そして、まったく知らなかった人との出会い。2年後、3年後はどうなっているのか。それが楽しみなんです」
子どもの頃の夢
公務員になることが正しい道と思っていました。ただ、ほんの一瞬、ピアニストに憧れ、すぐに挫折しました。
結婚観について
親は、22、23歳までに結婚できないとすごく焦るような昔の考え方の人でしたから、影響を受けた時期もありました。実は私、大学生時代に親の勧めでお見合いもしているんです。
最近のサプライズ
TBSを退社する日、本社前の広場で同僚アナや番組スタッフたちに見送られたこと。私はいつもと同じように会社を出たかったんですが、前日、安住(紳一郎アナ)さんが、明日、写真を撮りましょうとLINEを送ってくれたので、行ってみたらあんなことに。うれしい半面、アナウンサーの子たちの次の仕事は大丈夫?これ、残業代は出てるの?って、管理職の立場に戻って心配になりました。
投資について
郵便局派の私でしたが、最近、将来のお金についていろいろ勉強して、NISAとiDeCoを始めました。聞けば、娘もNISAを始めていて。だから、大学生の息子にも勧めました。息子は、えっ、バイト代で?って言うから、そうだと。早い方がいいんです。息子はまだ理解できないようですが。
読者へのメッセージ
もしも、したいこと、なりたい自分があるなら、できるだけ早く行動をしてほしい。行動は早い方がいいんです。これは投資と同じですね。
取材・執筆/清水京武 写真/山田英博
<関連記事>
「夢を育てよ」#9 「もうあかんわ」という出来事の連続を愛らしく言葉に綴る。作家岸田奈美さんに聞く「人に頼ることが、当たり前の人生」
「夢を育てよ」#8 貧しく厳寒の北海道の漁村から、札幌そして東京、スイスへ。フランス料理シェフ三國清三さんを導いた父の教えは「波が来たら、まっすぐに突っ込め」vol.1
「夢を育てよ」#7 “旅する鈴木”は、映像作品をつくりながら世界一周する旅人夫婦。その行動力の原点は「想いを大切にする」子育てだった!vol.1
「夢を育てよ」#6 大久保嘉人さんが信じる「1%の可能性」 vol.1
「夢を育てよ」#6 大久保嘉人さんが信じる「1%の可能性」 vol.2
<関連キーワード>
RECOMMENDED この記事を読んでいる方へのオススメ
POPULAR SODATTEでよく読まれている記事
カテゴリーごとの記事をみる

ARTICLE RANKING
キャリアの
人気記事ランキング
POPULAR KEYWORDS
人気のキーワード
HOUSEHOLD BUDGET SUPPORT
家計応援コンテンツ
わが家の家計診断
誰もがかかえる家計に関する悩み。悩みや疑問は人によりさまざまです。
記事を見る
SPECIAL スペシャルコンテンツ

今日からあなたも始められる!初心者のためのカンタン投資デビュー
投資に詳しくなくても簡単診断と始め方ガイドで、あなたに合った投資を今日から始めてみませんか。
詳しくはこちらから

子供と一緒に楽しく学ぶ「あいうえおかねの絵本」
子供もおかねもパパ・ママもそだつような、そんな「おかねを学ぶはじめの一歩」になれたら幸いです。
詳しくはこちらから
お役立ちコンテンツ
