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「夢を育てよ」#9 「もうあかんわ」という出来事の連続を愛らしく言葉に綴る。作家岸田奈美さんに聞く「人に頼ることが、当たり前の人生」


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    人生、もうダメだと思ったら、どうなるのか……。一家の大黒柱だった父親は39歳の若さで他界。母親は病気により下半身麻痺となり、車椅子生活に。弟はダウン症で、知的障害がある。こんな悲劇と言える境遇、状況に置かれた岸田奈美さんは、2019年、家族との生活を日記として楽しく、おかしく、そして愛を持って綴り始めます。それが、作品投稿サイト「note」で人気に。気がつけば、閲覧数は異例の100万回超えを記録。さらに、それらの作品は次々と書籍化され、一気に注目のトップ・クリエイターとなります。そんな岸田さんは、これまで、どのように考え、どう行動してきたのか。子ども時代の夢、バソコンで知った書くことの楽しさ、苦労の連続だった会社員時代、さらにはお金の使い方まで、幅広く語ってもらいました。

    作家 岸田奈美さん

    <プロフィール>
    作家。1991年生まれ、兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科2014年卒。在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、会社員を経た後、作家として独立。アメリカの雑誌、フォーブス「世界を変える30歳未満の日本人、30人」に選出される。著書に『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)、『もうあかんわ日記』(ライツ社)、『傘のさし方がわからない』(小学館)など。

    父に褒めてもらいたい、それが最初で最後の夢

    「夢と言われてイメージが湧くのは、中学2年生くらいまでですね。どんな仕事であれ、お父さんに褒めてもらいたい、そういう存在になりたいという思いが強くあって。ただ、何をしてもめったに褒めてくれませんでした。いつも、『俺の娘なんだからもっとできるやろ』と。そんなお父さんは、自分の仕事に誇りを持っていて、夢と仕事が一致していた。そこはとても影響を受けています」

    岸田さんの父親、浩二さんは建築デザイン会社を経営。しかも、当時としては先駆的だった、古い集合住宅などのリノベーションを手掛けていました。そして、岸田さんが13歳のとき、ある本を手渡します。500を超える職業が紹介されている、村上龍の『13歳のハローワーク』。

    「その本で将来の仕事を見つけろ、っていうことかと思ったら違っていました。
    『お前はなあ、この本に出てない仕事をせえ。ここに書いてある仕事は、10年後、20年後に人があふれていているか、ロボットが代わりにやっているかもしれん。お前は絶対、ここにない仕事ができる』と。お父さんもそういう考えで仕事をしていたから、私にもそうあってほしいと思っていたんでしょうね」

    「それで、私はというと、中学に入学するくらいまでは、同じ建築関係の仕事をしようと考えていましたが、数学が苦手であきらめました。そのあと、木村拓哉さん主演のテレビドラマ『HERO』が大好きだったので、検事がいいかな、とか」

    しかし、岸田さんが中学2年のとき、父親が心筋梗塞で急逝します。皮肉にも、大好きだった父親への最後の言葉は、口喧嘩からつい出てしまった「死んでしまえ!」でした。

    「あのときの後ろめたさが、今も強烈にあります。うん、だから、漠然とですが、お父さんみたいに経営者になれば、夢を引き継げるんじゃないかって。でも、私が16歳のときに、今度はお母さんが過労で病気(大動脈解離)となり、車椅子生活に。それでもう、将来のビジョンはまったく見えなくなりました」

    ▲岸田さんの両親と、生まれたばかりの弟・良太さん。後ろには、思い出のボルボ

    パソコンで知る、書くことの楽しさ

    父親は39歳の若さで旅立ってしまいますが、生前、大きなプレゼントをしてくれました。岸田さんが7歳のときに買ってきてくれた、iMacです。

    20年前、日本の家庭のパソコン普及率は10%をやっと超える程度。自分用の高額なパソコンは持つ小学生は、それこそめずらしい時代です。きっかけとなったのが、父親に言った「学校、楽しくない」というひとことでした。

    「私は、家族にはむちゃくちゃ愛されていたわけですよ。才能があるとか、やればできるとか言われて。だから、小学校でも愛されるものだと思っていたら、私よりかわいくて、スポーツができて、勉強ができる子がいて、その子たちが輪の中心にいる。それで、ひねくれてしまって。その鼻につく感じが周りに伝わるから、余計、輪の中に入れない。人生最初の挫折でした」

    そんな岸田さんに、父親はこう言って、iMacを手渡します。

    「お前の友達は、この箱の中になんぼでもおる」

    岸田さんはそれから、パソコンに夢中になります。使い方は誰も教えてくれません。キーボードを勝手に打つうちに、ローマ字入力も、基本的操作も覚え、書くことの面白さを知ることに。9歳のときには、話すスピードでタイピングができたと言います。

    「あの頃、書くこととしゃべることが、同化していました。自分の思いを文字にするといった高尚なものではなく、ただ、学校で友達としゃべりたかったことを、個人サイトの掲示板に書き込む。『ファイナルファンタジー』の感想とか、『課長 島耕作』の、あの大企業のサラリーマンのカッコよさとか。とにかく、ずーっとしゃべっている感覚で、ドキドキしながら書いていました。そして、誰かは分からないけど、自分の話したいことを聞いてくれている、そのことで何か自信が持てるようになっていきました」

    ▲2021年開催の東京オリンピックで聖火ランナーを務めた、母親のひろ実さんと車椅子を押す、弟の良太さん

    大学で学んでいただけでは、楽しく車椅子に乗れる社会は作れない

    大学は、関西学院大学の人間福祉学部社会起業学科に進学します。日本でも唯一といっていい、福祉に関連した起業を学ぶことを目的とした学科です。志望動機はもちろん、車椅子生活の母親とダウン症で知的障害のある弟がいること、そして、起業は父親からの影響です。

    しかし、大学で何を学んだかと質問すると「何だろう……、何ひとつ覚えてないです」と答え、こう続けます。

    「たぶん、学校で学びたかったことは全部、ミライロで学べてしまったからだと思います」

    株式会社ミライロは、雇用や商品開発など、さまざまな分野で障害者支援を行なうベンチャー企業。障害のある車椅子の大学生、垣内俊哉氏(後の同社創業者)と入学早々に出会い、大学1年の5月には、創業メンバーとして参加します。

    「仕事をして最初に知ったのは、例えば、飲食店や結婚式場に営業に行って〈バリアフリーにしましょう〉と言っても、何も響かないということ。少なくとも当時は、そういう時代でした。大学の講義では、バリアフリーはこれだけ歴史があって、障害者の社会運動があって、法律が整備されてと教えてくれるけど、それだけでは、お母さんが車椅子で好きな居酒屋に行ったり、楽しく買い物をしたりする社会は作れない。そのことを痛感しました」

    「ところが、ビジネスの話をすると、むっちゃ聞いてくれるんです。障害者の方、高齢の方、ベビーカーを押して外出している方を合わせると、日本人の人口の約3分の1になります。この人たちをお客さんとして迎えるには、バリアフリー設備が必要です。しかも設置することで補助金も出ますから、自己負担はこのくらいです、と」

    そして、卒業後も変わらず同社で働くことに。実働9年間。20代の大半を会社員として過ごすことになります。

    弟が誇らしい、それをみんなに知ってもらいたい

    「会社員と言っても、いつも失敗ばかりでした。菓子折りを持って何度謝りに行ったことか。私はそもそも営業には向いていない。アポイントを間違えたり、遅刻したり。デザインの能力もないし、納期も守れない。だけど、広報って仕事があって、自分の会社のことなら熱量を持って話せるんじゃないかと、社内の先輩が言ってくれたんです」

    そして、付いた肩書きが広報部長。ただし、部署は自分一人。まずは、広報とは何かを調べました。プレスリリースを書いたり、情報のリスク管理をしたり、取引先の住所や担当者名を整理したり。しかし、岸田さんいわく、そういった“守り”の広報はできずじまいだったとか。

    「でも、攻めの広報はできたんです。ウチの会社を取材してください、こんな面白いことやっていますと、SNSで発信する。それでなくても、ベンチャー企業で社長が車椅子に乗っている障害者ですから、取材のオファーは多くて。年間で200件くらいありました。テレビで大きく取り上げられると、知り合いからすごいねってメールもらったりして、私もアドレナリンがバーっと出ました」

    しかし、実績や知名度の少ない、ベンチャーゆえの苦労も絶えませんでした。会社の規模が大きくなるにつれて仕事へのストレスや社内の人間関係に悩むことも多くなり、在籍中、休職は3回を数えます。最後の休職を取る前は心が病んでいた、と言います。

    そして、実家に帰ることになった岸田さんに声を掛けたのは、弟の良太さんでした。

    「家おるなら、温泉行こう」

    「帰省してうれしかったのは、弟が成長していたこと。私、仕事が忙し過ぎて、成長にまったく気付いてなかったんです。そんな弟を見ていたら、自分に自信が持てなくても、弟が誇らしく思えました。私にはこんな弟がいます。大好きな家族がいます。それを誰かに聞いてもらいたい。それで、Facebookに弟のことを書いたんです。それが、私の初めてのエッセイです」

    ▲自宅で家族のために調理中の良太さん。いつもMVP級の活躍

    申し訳なさと、私の人生を応援してくれる人たち

    2019年2月にFacebookに書き始めて、その年の6月にはクリエイターたちの文章や画像、動画、音声を配信するWebサイト『note』に作品を移します。そして、7月にはブラジャー試着の記事、9月には神戸市北区の赤べこ事件の記事をアップ。それらを目にした、クリエイターのエージェントを行なう株式会社コルクの代表、佐渡島庸平氏から「いっしょに作家を目指しませんか」と声を掛けられます。

    「まずは現在の仕事も並行しながら創作をし、会社の給料と同じだけ稼げるようになったら独立を考えては、とアドバイスをもらいました。でも、もう会社にいることがつらかったし、とにかく違う場所に行きたかった。それで、ほどなくして退社しました」

    当時の岸田さんの給料は26万円ほど。自分の作品でそこまで稼ぐ自信はまったくなかったと言います。いわば、勢いによる独立。そこで、すぐに有料マガジンを立ち上げました。月1,000円で4本の記事が毎月読めるというもの。本人の不安をよそに、それはすぐに話題となり、多くの読者を抱えます。

    そして2020年9月、noteの記事をまとめた初のエッセイ集『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を発売。各方面から絶賛を受け、「noteの女王」として一気に人気作家へと駆け上がりました。

    「でも、私はずっと申し訳なさが強くありました。私の記事なんかにお金を払ってもらうなんて、という。そのとき佐渡島さんが、読者は岸田さんの記事に1,000円を払っているんじゃなくて、岸田さんの人生を応援したいと思い、お金を払っていると思うよ、と言ってくれて。だから、話にオチがなくても、面白くなくても、とにかく書き続ける。それが大事だと。その言葉に救われましたね」

    サポートしてくれる人たちにお裾分けしたい

    岸田さんの活動のメインはネット上です。そこから有料の作品を発信し、それを定期購読の読者が支えるというスタイル。実際、noteの購読料が収入の9割を占めると言います。

    そして、ユニークなのは、購読料や投げ銭(ネット上のクリエイターへのチップのようなもの)の使いみちを、「こんなことに使いました」とたびたび公表していること。「堅実に貯蓄しました」ということは一切なく、家族で旅行に行ったり、母親の入院費用に充てたり、地方に自主的にサイン会に出向いたりと、とにかく使っています。

    「応援してくれている人に応えたい、というか。月1,000円出せば、Netflixであれだけの映像が楽しめる時代です。なのに、私一人の月4本の記事に同じ額を払っている。ならばせめて、皆さんのお金で私が楽しんだこと、体験したことを報告という形でお裾分けしようと思ったんですね」

    ▲母親のひろ実さんが運転できるよう改造されたボルボが納車されました

    お金の使い方で、こんなエピソードがあります。

    岸田さんは2020年に、下半身麻痺の母親・ひろ実さんが運転できるよう改造した新車を購入します。ボルボは父親が生前乗っていた、家族の思い出のクルマ。しかし、改造費を含めると、費用は500万円近くに。当時の岸田家のほぼ全財産(購入後の残金7万円)を使い、12月にめでたく納車されます。

    すると、そのことを知ったnoteの読者、総勢約1700人から資金のサポートを受けます。結局、もう1台ボルボが購入できるほどの資金が集まることに。困惑した岸田さんは、考え抜いた末、翌年の3月21日の「世界ダウン症の日」に合わせて、東京新聞に書籍の全面広告を出しました。

    「自分のこと、弟のこと、そしてダウン症のことを、できるだけ目立つ場所で、より多くの人に知ってもらおうと思ったんです。サポートしてくれた人たちも、あの広告は俺がお金を出したんだって、ちょっとほくそえんでくれたらうれしいし」

    「振り返れば、私の人生って、もうあかんわ、の連続だったんですよ。だから、人に頼らないと生きていけない。それが当たり前の人生になっている。でも、困っているときに助けてと言えるから、誰かが助けてくれる。それがカッコわるいみたいな部分が日本にはあるけど、私はそれが言えるからポジティブに生きていけるんだと思っています」

    子どもの頃の夢

    お父さんに褒めてもらえるような仕事に就くこと

    大学で得たもの

    同じ大学で出会った松本浩美という友人。彼女は「Homedoor」というホームレス自立支援のNPO法人に、学生時代から参加していたので、お互い、起業の苦労や営業の悩みをよく話しました。

    お金の使い方

    自分も楽しく、そして他に喜んでくれる人がいる。そんなお金の使い方がしたい。

    投資について

    実は、ロホアドによるAI投資をしています。将来のために増やすというより、増えたらお世話になっている方に還元したり、誰かを支える資金になればという理由です。今回の取材でいただいたお金も、せっかくだから大和証券さんで投資しようかな。

    これからの夢

    最近思うことは、夢というか目標というか、とにかく私はどんなことがあっても書き続ける。書き続けないと、自分がダメになってしまうので。

    読者の方への応援メッセージ

    自立って、自分でお金を稼いで、自分の力で生きていくことではなく、依存先、助けてと言える先を増やすことだと思っています。もうあかんとなったとき、ネガティブなことが言える相手がいる。そしたらポジティブになれるし、まだまだいけるわって、思えるんです。

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