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「夢を育てよ」#5 元プロ野球選手でYouTuber、そしてJリーガー3人を子に持つ父。高木豊さんに学ぶ、自由な環境が育むもの


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    プロ野球の歴史には、今も昔も個性的な名選手たちの姿があります。今回ご登場頂く高木豊さんも間違いなくその一人でしょう。現役時代の華麗な守備やシュアなバッティング、そして塁に出れば走る姿は、多くのファンを魅了してきました。甲子園に届かず、ドラフト会議では挫折感を味わったアマチュア時代。優勝とは無縁のチームで、自分の居場所を模索したプロ選手としての14年間。さらにはYouTubeでの発信から独自の子育て論まで、いろいろとお話を伺いました。

    ●高木豊さんプロフィール

    1958年、山口県山口市出身。中央大学を経て、1980年にドラフト3位で大洋ホエールズに入団。3年目にはレギュラーをつかみ、走攻守を兼ね備えたトッププレーヤーとして活躍。4年目には盗塁王を獲得。「スーパーカートリオ」としてその名は全国区となった。1994年に日本ハムに移籍し、翌年現役生活にピリオドを打つ。引退後は一時、芸能活動もするが、フジテレビのプロ野球解説者を中心に活動する。2001年には横浜ベイスターズ、2012〜2013年には横浜DeNAベイスターズでコーチを歴任。2018年、元プロ野球選手としては先駆的にYouTubeで自身のチャンネルを立ち上げた。息子さん3人は現役のJリーガーとして活躍中。

    自由から発想が生まれ、夢中になる

    父親は転勤族。一緒に全国を転々とする中、高木少年が野球に目覚めたのは、小学校に入って間もなく。その頃、父親が会社の野球チームの監督をしていたことが、大きなきっかけとなります。

    「会社の士気を高める、いわば草野球チームでしたけどね。ただ、当時としてはめずらしいピッチングマシーンを持っていて。それを子ども同士で引っ張りだしてはよく遊んでいました」

    中学で野球部に入ってから、本格的に野球に取り組みます。興味深いのは独自の練習法。その創意工夫は、親に干渉されずに育ったからこそ生まれたものだと言います。

    「屋根にボールを投げると、瓦屋根だからどこに落ちるかギリギリまでわからない。そこで一瞬の動きが必要になる。これを親の前でやれば怒られますよ。でも、親はあれこれ干渉せずに自由にさせてくれた。だから自分で考え、そこに発想が生まれるんです。しかも楽しいから夢中になってやる。

    『巨人の星』で、星飛雄馬が家の壁に空いているボール大の穴をめがけてボール投げるという、有名なシーンがあるんですが、あれも本気でやろうと思った。でも、当時北海道に住んでいたので、壁に穴が開くとさすがに寒いからダメだと言われましたね」

    高校時代は甲子園出場の夢は果たせませんでしたが、その実力が買われ、中央大学に進学。東都大学野球リーグ、全日本選手権の優勝、選手としてもベストナイン獲得や日米選手権への選出など、輝かしい成績を残しました。

    そして、運命のプロ野球ドラフト会議。しかし、指名に手応えを感じていた高木さんは、なぜか自室で悶々とその結果を待つことになります。

    「ドラフトでは確実に選ばれるとは思っていました。問題は順位。東海大学で同期の原(辰徳)とか、プリンスホテルの石毛(宏典)さんとか、注目選手はいましたが、自分も負けていないという自負がありましたから。ところが、1位はもとより、2位でも呼ばれない。一人で憤慨していましたし、同時に挫折も感じました」

    「プロ野球」という名の会社で埋没するのが怖かった

    結局、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズの前身)から3位の指名を受け入団します。今と違い、各球団ともドラフト指名は4位まで。つまり、新たなプロ入りは12球団で計48人。育成も含めれば120名前後がプロ入りを果たす今と比較すれば、いかに狭き門であるかがわかります。

    そんな高木選手は、入団時からチームの一員として、とても強い想いを抱いていました。プロになったからには優勝したい。

    「でも、いつまでたっても、それだけの戦力が揃わない。球団が向いている方向も、優勝を目指しているとはとても思えない。

    選手として、考えを変えたのはその頃です。自分は『プロ野球』という名の会社で、『大洋』という部署に配属されたのだと。この部署で成績を上げなければ、会社では認められない。だから、個人の記録を狙うようになりました。もちろん、活躍すればチームの勝利につながります。

    でも、それよりも活躍しないと、選手として実力がないと、プロ野球の中で大洋とともに埋没してしまう。他球団に行っても通用しない。その恐怖の方が強かったですね」

    盗塁は成功の数より失敗の数が勲章

    活躍しなくてはプロの世界で埋もれてしまう……。そんな思いでプレーを続け、数字も着実に伴なってきます。二塁手としてレギュラーをつかんだ3年目には打率3割を達成し、実働14年間で8回の打率3割以上を記録。通算打率.297は野手として高く評価されるべき数字です。

    そして、高木さんと言えば、その代名詞である盗塁。1985年に就任した近藤貞雄監督のもと、加藤博一、屋鋪要選手とともに「スーパーカートリオ」として「走る野球」を体現していきます。

    その結果、通算盗塁数は321。これもすごい数字ですが、着目したいのは盗塁死178回。プロ野球歴代4位の記録です。それは、成功の確率が9割ないし8割でなければ走らない今のプロ野球では考えられない、低い成功率だったことも意味します。

    「クイックモーションで投げられて1.0秒(投手の投球動作開始から投げたボールがキャッチャーミットに届くまでの時間)を切ったら、完璧に走ってもほぼアウト。それでも、監督も私も小さな成功確率に賭けていました。観に来ているファンも期待しているし走る。でも、失敗すれば、「何がスーパーカーだ!耕運機じゃないか!」って野次られる。それでも走りました。だから、僕は成功した数より、失敗の数が自分の勲章だと思っています」

    時代の変化に遅れたくない想いからYouTubeへ

    引退後、プロ野球解説者としてメディアで活躍。その後、古巣、横浜(そののち横浜DeNA)ベイスターズのコーチとしてユニホームを着ることに。また、2004年にはアテネ五輪の守備・走塁コーチも務めました。

    そんな高木さんは、2018年にYouTubeで自身のチャンネルを立ち上げました。多彩な球界のゲスト、知られざる裏話、独自の技術論や試合解説等を投稿し、今や登録者数23万人(2020年11月時点)を超える人気コンテンツとなっています。

    「なぜYouTubeを始めたかと言えば、時代の変化に遅れたくない。その気持ちからです。もはや性格ですね。そもそも、この年齢だと同級生が集まったら、病気の話や誰かが亡くなった話……。発展性がまるでない。ならば、若者と絡むべきだと。その手段がYouTubeだったということです。今の20代は、頭の構造も発想力も自分たちの頃と全く違いますから」

    息子3人とも自分でサッカーを選んだ

    もう一つ、高木さんを語る上で、3人の息子さんに触れないわけにはいきません。長男の俊幸さんはセレッソ大阪、次男の善朗さんはアルビレックス新潟、そして三男の大輔さんはガンバ大阪に所属するJリーガー、現役のプロサッカー選手だからです(2020年11月時点)。

    すると、誰もが一つの疑問を抱きます。なぜ、プロ野球選手ではないのか……。特に三男の大輔さんがプロ野球選手を目指したら「1億円プレーヤーになっていた」と高木さんも言うほど、才能があったとのこと。そこには、高木さん独自の子育て論がありました。

    「もろちん、環境や時代もあるでしょうが、結局、子どもは縛り付けるものではなく、僕が親からしてもらったように、自由にさせるものだということに尽きます。自由に追い求めるから責任が生まれる。その責任をまっとうするかどうかは、本人次第。子どもの人生、親が責任を持てませんよね。だから、好きなことをやらせる。その中で3人ともサッカーを選んだということです」

    ただ、自由には大きな責任が伴なうこと、そして力が必要なことを、高木さんはよく知っています。

    「自分もプロ経験者として、アドバイスはしました。例えば、明日、試合があるのに遅くまで起きていたら、プロならゲームに備えて早く寝るよね、とか。プロになってからプロの生活をするのではなくて、なる前からプロを意識した生活やプレーをしろとはよく言っていたと思います」

    特に、次男の善朗さんが中学生だったときのエピソードには、プロとして生きてきた高木さんならではの視点が垣間見えます。

    試合は4対1で勝っていてロスタイム。ゴールまでに相手ディフェンスが2人。その場面、善朗さんは相手を引きつけて味方のゴールをアシストしました。普通であれば褒められる状況ですが、高木さんは苦言を呈したそうです。

    「あれは強引にでも2人を抜いてゴールを狙うべきだったよね、と言いましたね。それがプロの見せ方だよと」

    成功確率が高いのはパスであることは間違いありません。ただ、すでに3点差でリードしている状況、だったらチャレンジしてゴールを狙うべきだというのが高木さんの発想。そういうプレーをファンは喜ぶ。そして何より、プロの厳しい競争の中、強気であることが大事、そして個人として結果を残すことで評価される。まさに、プロ野球選手として高木さんが大事にしてきた姿勢そのものです。

    「『プロ野球選手になってほしかったのでは?』とよく聞かれますが、それはありません。やる気がないと上手くならないし、好きじゃないと上手にはならない。親の強制ではどうにもなりません。何かの岐路に立ったとき、最後は自身が選ぶべき。親が与えるだけでは、そういう子どもにならないと、僕は思っています」

    高木豊さんは、プロ野球選手を目指し、しかもその世界で記録も記憶も残しました。その過程には挫折も葛藤も少なからずありましたが、自分の想いを通したという自負が、話の随所に感じられます。

    その原点は、子どもの頃からいつも自分で考え、発想し、そして進む道を選択し、その責任を負ったということ。爽やかな笑顔からは想像できないほど、ゴツゴツした大きな手が、それを静かに語っている気がしました。

    取材・執筆/清水京武 写真/金田邦男

    これまでの夢や目標

    プロ野球選手。

    夢を実現するためにやってきたこと

    発想と創意工夫による練習。

    大切な時間やお金の使い方

    年俸はこだわりました。自分の評価であり、責任の重さでもあるから。ただ、単にお金に関しては、生活に困らなければそれでいいという考えです。

    子どもの可能性を伸ばすために大切にしていること

    好きなことをさせる。子どもに選ばせる。

    これからの夢や目標

    野球界に何かの形で恩返しがしたい。自分があるのはやはり野球があったからなので。

    読者の方へのメッセージ

    子育てで言えば、本気で子どもと接してほしい。手加減とか、忖度はしない。あと、挨拶ができる子どもに育てる。気持ちいい挨拶ができれば、相手も元気になるし、コミュニケーションも取れますから。人として求めるのはこれだけです。

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