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「夢を育てよ」#4 月収900円時代を支えた貯蓄とアパート経営!再注目のコウメ太夫さんに学ぶ「まずやってみる」人生論 vol.1


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    お笑いブームはこれまでに何度も訪れていますが、2000年代にその火付け役となったのは、お笑いネタ番組『エンタの神様』でしょう。まったく無名の芸人がネタを披露するという新鮮さが人気となり、高視聴率をマーク。その番組から、多くの芸人が世に出ます。コウメ太夫さんもその一人。着物、白塗りという太夫の姿で、裏声で歌うようにネタを語り、最後に「チクショー!」を発する特異な芸風で、一気に大ブレイクを果たしますが……。マイケル・ジャクソンに憧れ、しかし何度もオーディションに落ちた10代。芸人として、まったくウケなかった20代。そして、ピークから一気に落ちた30代を経て、今また、その笑いが新たに注目を集めるコウメ太夫さん。これまでの歩みや、子育て、さらにはアパート経営と、幅広く語っていただきました。

    母親の期待にまったく応えなかった子ども時代

    ▲コウメ太夫さんこと赤井貴さん

    「小学校1年の後半くらいからずーっと、バカだ、バカだってみんなに言われてましたね。でも、おふくろだけは僕にすごく期待をかけていた。親戚に医者とか優秀な人が結構多かったし、一人っ子ということもあったと思うんだけど、口を開けば勉強、勉強。

    学校の成績が悪いから、塾にも通わされて。それでもダメだから、家庭教師を2、3人つけられる。勉強はわかれば面白いと思うけど、とにかくわかんない。家庭教師にしょっちゅう言われてましたよ。なんで、こんなこともわからないんだ!って」

    父親は芸能プロデューサー、母親は東映ニューフェース1期生の元女優。いわば芸能一家に生まれました。しかし、コウメ太夫さんが7歳のとき、父親が他界し、母子家庭となります。

    「でも、お金で苦労した記憶はほとんどないですね。ウチの親父は根が芸術家だったので、お金については無頓着。一方、おふくろは自宅も自分のお金で建てたしっかり者。

    ただ、親父が亡くなってから、おふくろはパートで働きに出てました。よく、当時飼っていたうさぎを抱えて、駅でおふくろの帰りを待っていたのを覚えています」

    「それと、親父がまだいたころは、ウチにいろんな芸能関係者が出入りしていて、親父も家族もチヤホヤされていました。ただ、それも仕事が欲しいからで、亡くなってからはさーっと人が引いていった。子どもながらにそういうことを目の当たりにして、どこかで見返したいという気持ちはありました」

    マイケル・ジャクソンとの出会いが人生を変える

    それまで芸能界にはまったく関心がなかったというコウメ太夫少年に、人生を一変する出会いが待っていました。小学校5年のとき、友人の家で見たマイケル・ジャクソンのミュージックビデオ『スリラー』。ホラーの作風に最初は怖いと感じましたが、すぐにその歌と踊りに惹かれ、やがて夢中になります。

    「それからマイケルの踊りをマスターしようと、家で何度もビデオを見返して。とにかく夢中になって踊ってました。そのうち、歌って踊って、そして早く稼ぎたいという気持ちになって。それで、14歳のときにジャニーズ事務所に履歴書を送ったんです。ちょうど、光GENJIがデビューしたころですかね。

    だけど、なかなか返事が来ない。心配になって事務所まで行ったら、ビルの入口で、とても納得のいく説明をされ断わられました。そこでやっと気付くんです、この事務所は絶対無理なんだと」

    それでも、芸能関連のオーディション情報誌を見ながら、履歴書を書いては応募を続ける日々。しかし、結果はことごとく落選となります。そんなある日、母親から「あんた、ここを受けなさい」と新聞記事を渡されます。

    「それが芸能事務所で、最初は育ててもらうので入所金や毎月のレッスン代がかかる。それが結構な金額で、そこまでして事務所に入りたいとは思わないとおふくろに言うと、大丈夫だから行け、行けと。あんなに勉強しろと言っていたのにと不思議でした。まあ、毎日踊ってましたから、そんなに好きなら応援しようという気持ちになったのかもしれません」

    かつらが似合うと言われ、梅沢富美男劇団に

    芸能事務所も高校卒業前に退所し、北海道の旭川大学に進学。本人いわく「ちょっと成績が上がった時期があって大学進学もいいかなと思った」とのこと。しかし、やはり「歌って踊る」夢はあきらめきれず、大学を中退。その後、事務所に所属はするものの、今度はまったく仕事がない。デビューすらできない状態が続きます。そんなとき、母親のアドバイスでまた状況が一変することに。

    「あんたは日本的な顔なんだから、時代劇のかつらが似合う、と言うんです。ならば人気の梅沢富美男劇団だと思い、応募しました。ただ、僕は日本的なものが当時嫌いだったから、さほど乗り気ではなかったんですが、結果は合格。22歳で劇団員となりました」

    ▲劇団時代に身に付けたメイク

    「あの劇団は舞台で覚えるというやり方なので、すぐに舞台に立ちました。当時の梅沢さんは大変な人気でいつも客席は満員。さすがに足が震えましたね。最初の役は龍神。20メートルくらいの大きな龍を舞台で操るんですが、とにかく下手で、梅沢さんから外れろと言われる始末。

    ただ、梅沢さんが『夢芝居』を舞台で歌っているとき、必ず袖の奥で、曲に合わせて適当に踊っていたんです。そんな僕を見て梅沢さんは歌いながらニヤッと笑う。それを、当時座長だった梅沢さんのお兄さんが見ていて『せっかくだから舞台で踊ってみろ!』と舞台でも踊らせてくれるようになりました」

    劇団は待遇も良かったといいます。毎月20日ほど舞台があり、その日は食事代として4000円が支給され、他に毎月給与も出ます。それでも、2年ほどで退団してしまいます。

    「劇団にずっといればお金の面ではさほど苦労はしなかったかもしれません。それでも、ずっと劇団の仕事を続けていいのかという思いはありました。僕なりの野心みたいなものがありましたから」

    生まれて初めて芸人として認めてもらった

    梅沢富美男劇団を退団したコウメ太夫さんは、一転してお笑い芸人を目指します。その理由は、当時まだお笑いブームではなく、ライバルが少ないと感じたから。もうひとつの理由は、小さいころ、面白い子だとよく言われたから。

    「まあ、これも素人にありがちな勘違いなんですが、ともあれ相方を見つけ、『JUMP-2000』というコンビを組んで活動します。ところが、とにかくウケない。驚くほどウケないんです。最初はネタを相方が作っていましたが、途中からすべてアドリブにしました。そっちの方がまだ笑いがありましたが、それでもホントにクスッという程度。散々でしたね」

    その後、何度かコンビを組んでは解散を繰り返すが、芽は出ないまま。最終的にオーディションを受けた現在の所属事務所『ソニー・ミュジックアーティスツ』でも、コンビとして安定せず、ピン芸人に。ここで、顔は白塗り、着物にかつら、自虐ネタで「チクショー!」を叫ぶスタイルが完成します。

    ご本人いわく「エンタの神様で波田陽区さんの活躍を見て、今は和装がウケるんじゃないかと思っていた」とのこと。一方「それはたぶん後付けです。当時そこまで考えてなかったと思います」とマネージャーさんはキッパリ否定。

    ▲コウメ太夫として登場!

    「コンビを組んでいるころから、この衣装ではやっていたんですよ。それで、かえって誰も僕とコンビを組みたがらない。結果、ピンにならざるを得なかったんです。自虐ネタはいわば子どものころにウケていた、その癖というか習性というか。頭脳系のネタはとてもできませんし、単純な方が自分に合っていましたから」

    チャンスは突然やってきます。ピン芸人となった翌年、2005年にお笑いネタ番組『エンタの神様』に出演(当時は「小梅太夫」)。その唯一無二のキャラクターが、テレビ局のプロデューサーの目に留まり、注目の人気芸人として一気に開花していくことに。

    「初めて『エンタの神様』に出たとき、とにかく緊張していましたね。それでも、俺は絶対面白いんだぞと、自分に言い聞かせていました。数日後、そのオンエアを自宅で見たとき、自然と涙がこぼれました。生まれて初めて、芸人としてテレビに出て、世間に認知されたと感じたんです」

    ついに念願のブレイクを果たしたコウメ太夫さん。次回はいよいよ、そこから現在に至るまでの出来事、そして収入の変化や子育てについて、たっぷり語っていただきます。

    【次回はこちら】
    「夢を育てよ」#4 月収900円時代を支えた貯蓄とアパート経営!再注目のコウメ太夫さんに学ぶ「まずやってみる」人生論 vol.2

    ●コウメ太夫さんプロフィール

    1972年、東京都杉並区出身。大学中退後、梅沢富美男劇団に所属。1997年に退団し、お笑い芸人に転身。コンビの解散を何度か繰り返し、2005年に日本テレビ系のお笑い番組『エンタの神様』で一気にブレイク。2009年頃から人気に陰りが出始め、仕事は激減するが、ロック・コウメ太夫、ジャクソン太夫などの新キャラクターを披露しながら、芸人を継続する。最近は俳優業もこなしつつ、自身のTwitterでのネタが話題になるなど、その笑いが再注目されている。一人息子を育てるパパとして、子どもとの時間を何よりも大切にしている。

    取材・執筆/清水京武 写真/金田邦男

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